横浜地方裁判所横須賀支部 昭和51年(ワ)246号 決定 1978年10月30日
原告
岩村文雄
外一〇六名
右原告ら訴訟代理人
竜嵜喜助
外五名
被告
国および神奈川県
右指定代理人
野崎悦宏
竹内康尋
外一二名
被告
横須賀市
右訴訟代理人
中山明司
外二名
主文
被告神奈川県は、別紙文書目録記載の各文書(但し、同目録記載の一の文書については河川改修に伴う放水路の建設計画に基づく私有地の買収予定地に関する部分を除く。)を当裁判所に提出せよ。
理由
第一原告らの申立ならびに被告国および同神奈川県(以下「被告県」という。)の意見
別紙一および同二に記載のとおりである。
第二当裁判所の判断
一別紙目録記載の各文書(以下同目録記載一の文書を「本件報告書」と、同二の文書を「本件改修計画」と同三の文書を「本件河道計画案」という。)を被告県が所持していることは同被告の認めるところであり、右各文書の趣旨が原告ら主張のとおりであることも、本件における当事者双方の主張の全趣旨からこれを認めることができる。
二本件報告書について
原告らは、本件報告書が民訴法三一二条一号、三号後段に該当すると主張するので、これについて順次検討する。
1 民訴法三一二条一号の文書に該当するとの主張について
民訴法三一二条一号にいう「引用」とは、当事者が口頭弁論、準備手続または準備書面において、自己の主張の助けとするために文書の存在と内容に言及することを指すと解すべきところ、本件記録中の被告らの主張を精査しても、被告らがそのような「引用」をしたものとは認められない。
なお、原告らは、被告らが、その準備書面において「昭和四六年度河道計画調査」なる文言のもとに本件報告書の存在および内容に言及したと主張し、かつ、本件訴訟の口頭弁論において、右調査に基づきその報告書を作成したことおよび被告県が現にこれを所持していることを自認しているから、弁論の全趣旨からみて、本件報告書そのものを引用していると主張する。しかし、被告らが引用しているのは、河川法一六条に基づき作成を義務づけられている「工事実施基本計画」(本件河道計画案)であることが明らかであるし、被告らが釈明に応じて本件報告書の存在および所持を認めたことは右引用に当るとすることはできない。
2 民訴法三一二条三号後段に該当するとの主張について
(一) 民訴法三一二条三号後段により所持者が提出義務を負う、いわゆる「法律関係文書」は、当該文書が挙証者と所持者との間の法律関係自体を記載した文書のみならず、挙証者と文書の所持者との間の法律関係に関連した事項の記載があればよく、このような文書であるかぎり、文書作成の目的、時期、作成者を問わないと解すべきである。
もとより右の「法律関係に関連した事項」の内容は必ずしも明確ではない。被告らの指摘するように、わが民事訴訟法は、証人義務と文書提出義務とで原則と例外を逆に規定しているのであり、「法律関係文書」の範囲を広く解釈するならば、その提出義務は、一般義務とされる証人義務と差がなくなり、文書提出義務を限定した民訴法三一二条の趣旨が没却されることにもなりかねないであろう。
民事訴訟における事実の確定は、弁論主義のもと当事者の主張および証明責任に委ねられているところ、証明責任は、証人については証人義務、挙証者の所持しない文書については、文書提出義務によつて担保され、当該証拠の取調べについての必要性が認められるかぎり、国家(裁判所)はその実施について強制力を行使することになる。これに対し、証人については自己または公共の利益の不必要な侵害の防止をはかるため一定の範囲の証言拒絶権が認められているが、文書提出の強制についても所持者に対して同様の考慮がなされなければならない。すなわち、民訴法三一二条の立法趣旨は、一方における証拠資料の獲得という訴訟の理想と、他方における文書所持者の利益の不必要な侵害の防止との調和をはかるにあるというべきである。
したがつて被告ら主張のように「法律関係文書」を挙証者と文書所持者との間の法律関係の発生原因が両者間の契約関係である場合に限定することはもとより、当該文書記載の事実が両者間の法律関係に関連して作成されたものでなければならないと解することは相当でない。また、文書所持者の内部的自己使用の目的で作成された文書であつても、それが家計簿や日記帳のように個人のプライバシー保護のため本来公開すべからざるものであるか、または証言拒絶権における公務員の職務上の秘密に相当する事由その他所持者に不利益を及ぼすべき事由の存しないかぎり、そしてまた当該文書が挙証者の証明責任の実現のため必要かつ適切であると認められるかぎり、それは提出義務を負うべき「法律関係文書」にあたることになる。民訴法三一二条一号、二号、三号前段は、このような文書を例示したものというべきであり、前記のように解することによつて被告主張のように右の各規定が無用なものとなるわけではない。
(二) これを本件についてみるに、本件記録によれば、原告らは「平作川流域が急激に宅地開発され、保水能力が著しく低下し、大量の雨水が一挙に平作川に注ぐようになつたにもかかわらず、平作川の流下能力を高める改良工事がなされず、しかも、平作川の溢水区間の河幅がその下流部分に比して著しく狭く、その流下能力が阻害されていたことが河川の設置・管理の瑕疵に該当する」と主張して、国家賠償法二条に基づき損害賠償請求をしていることが明らかであるから、原告らと被告らとの間には右損害賠償義務の存否をめぐつて法律関係が生じていることになる。
そして、前記のとおり、本件報告書には昭和四六年当時の平作川の流下能力等に関する具体的事実が記載されていることが認められるから、本件報告書には原告らと被告県との法律関係に関連した事項の記載があるといわなければならない。
(三) そこで、本件報告書の提出によつて被告県に不当な不利益を及ぼすか否かについて検討するに、被告県は河川法一六条一項により工事実施基本計画の作成を義務づけられており、その作成にあたつては、同条二項、河川法施行令一〇条一項により洪水、高潮等による災害の発生の防止又は軽減に関する事項については、過去の主要な洪水、高潮等およびこれらによる災害の発生の状況ならびに災害の発生を防止すべき地域の気象、地形、地質、開発の状況等を、河川の適正な利用および流水の正常な機能の維持に関する事項については、流水の占用、舟運、漁業、観光、流水の清潔の保持、塩害の防止、河口の閉塞の防止、河川管理施設の保護、地下水位の維持等を総合的に考慮すべきものとされているのであつて、本件における当事者双方の主張の趣旨を総合すれば、被告県は、河道計画案作成における右考慮事項の資料とする趣旨で横須賀土木事務所から株式会社建設技術研究所に調査を委託し、右調査の結果作成された本件報告書の内部を、その他の資料と総合し、取捨選択したうえ本件河道計画案作成に至つたことが認められる。
したがつて、本件報告書は、法令上作成が義務づけられている河道計画案そのものではないが、河道計画案作成のためのその考慮事項たる前提資料とされたもので、右河道計画案と密接に関連する文書というべきである。そうすると、河川の適正な管理が行われたかどうかが争点となつている本件訴訟において、河道計画案作成の際における本件報告書の検討、取捨選択の仕方も右争点の判断に重要な関連を持つことになる。そして、本件記録によるも本件報告書が公開されることによつて公益が害され、その他被告県の利益に具体的支障が生ずべき事由があるものとは認められない。
被告らは、「本件報告書の内容は行政上の秘匿事項でありこれを公表することによつて住民に無用な誤解と混乱を招くおそれがあり行政の円滑な遂行を阻害する」と主張するが、昭和四六年度における平作川の流下能力等に関する調査結果(たとえその調査が民間会社によつて行なわれたものであるにしても)が公表されることによつて、その主張のような誤解と混乱を招くものとは認め難いから、右主張は理由がない。
なお、本件報告書中、放水路建設計画に基づく私有地の買収予定地に関する部分は、原告らにおいても敢てその提出を求めるものでないことが窺われ、また後段説示のとおりその提出が原告らの挙証のために必ずしも必要かつ適切であるとは認められないから、この部分が公開されることによる不利益についての被告らの主張についての判断は省略する。
(四) 被告県は、本件報告書が専ら被告県の自己使用目的で作成された文書であるから民訴法三一二条三号後段の法律関係文書には該当せず、さらに、法令上作成を義務づけられた文書ではないから同号による文書提出命令の対象とならない旨主張するが、その当らないことは、前段までに説示したところにより明らかである。
三本件改修計画および本件河道計画案について
被告県が本件河道計画案を本件訴訟において引用したことは同被告の認めるところであり、被告県は、昭和五二年六月一七日付準備書面(一)(同日の第二回口頭弁論において陳述)の第一の二の3「昭和三九年度の実施計画」欄および昭和五三年一月二七日付準備書面(七)(同日の第八回口頭弁論において陳述)の二の1において本件改修計画の存在と内容に言及している。
四文書提出の必要性について
本件記録によれば、本件水害事故発生後、平作川の改修工事が進められ、事故以前および事故当時の状況を把握することが極めて困難となつていることが認められる。
もとより、本件水害発生前に平作川の設置または管理について、いかなる瑕疵が存在したかについての具体的事実は、原告らにおいて主張すべき事項であるが、国家賠償法二条は民法七一七条の場合と同じく危険責任を規定したものというべく、河川の溢水により損害を生じた場合、その設置または管理についての瑕疵が一応推定されるところ、先ず抽象的に瑕疵の存在を主張し、具体的な瑕疵については立証の進行に伴い逐次これを補充することも許されるというべきである。
本件水害発生以前および発生当時の平作川の流下能力等が記載されている本件改修計画および本件河道計画案ならびに右調査結果が記載されている本件報告書は、航空機事故の場合の事故調査報告書のように、当該文書作成者の認識ないし判断が法律関係そのものの成否、内容ないし効力と無縁であるとすることはできず、むしろそれは客観的事実に即した直接証拠の性質を帯有するものというべきであり、文書提出を命ずべき必要性と適切性が認められる。ただし、本件報告書中放水路建設計画に基づく私有地の買収予定地に関する部分は、本件事故発生当時の平作川の状況とは直接関係がなく、右部分の提出を命ずる必要性は認められない。
五よつて、本件文書提出命令の申立は、本件改修計画および本件河道計画案については全部、本件報告書については放水路建設計画に基づく私有地の買収予定地に関する部分を除いてこれを認容することとし(右除外した部分については申立を却下し)、主文のとおり決定する。
(田中恒郎 田中昌弘 梶陽子)
【別紙一 文書提出命令の申立】
一 文書の表示
1 被告県の「神奈川県横須賀土木事務所」が作成した、「昭和四六年度平作川河道計画調査報告書」(資料編を含む)
2 被告国が昭和三九年度に作成した「平作川河川改修計画」
3 被告国が昭和四六年度に作成した「平作川河道計画案」
二 文書の趣旨
前項1の文書(本件報告書)
被告神奈川県は、昭和四六年度の平作川河道計画案を作成するに当り、昭和四四年度より四六年度の各年度に亘り、平作川の河道計画調査を実施し、その調査結果を本件調査報告書にまとめた。
右調査報告書には、平作川の現状が、計画高水流量を安全に流下しうる能力を欠いていたこと、吉井川の当時の流下能力では河道の改修と共にポンプ場の設置が必要であつたことが、明示されている。
前項2および3の文書(本件改修計画および本件河道計画案)
(一) 被告国は、昭和三九年度において、過去最大の時間降雨量である昭和三六年六月二八日の一時間52.8ミリメートルに耐え得る断面を確保するため、将来の計画雨量一時間71.0ミリミートルまでの降雨量を流下するよう河川改修することを計画した。
(二) 被告国は被告神奈川県と協議のうえ、昭和四六年度において過去最大の時間降雨量である昭和四三年六月一六日の一時間58.6ミリメートルの降雨量を考慮し、将来構想として時間降雨量93.2ミリメートルに、実施計画として時間降雨量74.1ミリメートルに、それぞれ耐え得るよう河川改修をすることを計画した。
三 文書の所持者
いずれも被告県
四 証すべき事実
「本件報告書」について
被告神奈川県が調査を実施した昭和四四年度ないし四六年度当時、平作川及び吉井川は、その流域における開発が急激に増加し、そのため平作川等の負担が激増し、当時の流下能力では、大量の雨が降つた場合、溢水する危険性が極めて大きかつたこと、すなわち、平作川及び吉井川の営造物の設置・管理に瑕疵が存在していたこと。
「本件改修計画」および「本件河道計画案」について
昭和三九年当時の平作川の現状が、大量の降雨があつた場合に、吉井川、乙水路及び丙水路の雨水を正常に流下しえず、吉井川流域に溢水をもたらす危険性があつたこと、並びに、右年度以降本件水害発生時まで、平作川の流下能力を高める何ら有効な工事が実施されず放置されていたこと、すなわち平作川及び吉井川等の営造物の設置・管理に瑕疵が存在していたこと。
五 文書提出義務の原因
A 「本件報告書」について
1 民事訴訟法第三一二条一号
(一) 被告国及び県は、その準備書面(一)(昭和五二年六月一七日の第二回口頭弁論において陳述)の第一の二「平作川河川改修工事の実施状況」の4において、「昭和四六年度河道計画調査」の標題のもとに、結論として「平作川に異常降雨があつたときは、逐次これまでの計画を根本的に変更し、積極的にかかる異常降雨量に耐え得る河川改修工事の計画を樹立してこれを実施してきた」として、河川管理の瑕疵の不存在を主張し、これを根拠づける事実として「昭和四四年度から右(昭和四三年六月一六日のことを指す)一時間58.6ミリメートルの降雨量を考慮した平作川の河道計画調査をはじめた」こと、「昭和四六年度において平作川河道計画案を作成した」こと、「将来構想として、時間雨量93.2ミリメートルに耐え得るよう河川改修をすることとし、実施計画としては、時間雨量74.1ミリメートルの降雨量を流下する河川改修をすることを決めた」などと主張し、「昭和四六年度河道計画調査」の結果、及びこれに基づく「平作川河道計画案」を引用している。
(二) 前記被告らの準備書面(一)では「河道計画調査報告書」なる文言を使用することを避けて「昭和四六年度河道計画調査」なる文言を用い、その標題のもとに、調査結果である事実の一部について陳述している。そこで具体的に主張している事実は、「昭和四六年度河道計画調査報告書」の内容そのものの一部にほかならない。例えば、将来構想としての93.2ミリや実施計画の74.1ミリ等の数値は、すべて右河道計画報告書から得られた数値なのである。
(三) 原告らは、昭和五二年三月二四日付の上申書において被告国および県に対し「平作川河道計画調査報告書」を提出するよう、その協力を求め、その後の口頭弁論期日においても、その都度提出方を求めてきたが、被告らはいつも検討する旨回答し、右報告書の存在を認めてきた。右被告らは同年六月一七日に至り、右準備書面(一)において初めて「昭和四六年度河道計画調査」なる主張を展開してきたが、被告らの右主張は、弁論の全趣旨からみて、右調査報告書そのものの引用にほかならず、民訴法三一二条一号の「文書ノ引用」に該当する。
(四) そもそも民事訴訟法第三一二条一号の「当事者カ訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、証拠として引用した文書というように狭く解すべき理由はない。けだし、わが国の民事訴訟法は、ドイツ民事訴訟法第四二三条の「訴訟において挙証のため引用した文書」というような限定をせず、それよりもさらに広く「訴訟ニ於テ引用シタ文書」と規定しているからである。
したがつて、「当初より挙証のためでなく、単に主張を明らかにするために文書を引用した場合にも、本条一号に該当するものと解す」べきである(斉藤秀夫編著「注解民事訴訟法」(5)一九五頁)。
2 民訴法三一二条三号後段
(一) 本件報告書には、昭和四六年当時の平作川及び吉井川の現状、特に流下能力等が記載されており、本件水害発生の原因となつた平作川等の瑕疵の有無がこれによつて判明する筈である。昭和四六年当時の平作川等の詳細な状況が判明すれば、被告らが主張するその後の改修工事の管理行為との関係で、本件事故発生時における平作川等の瑕疵の存否もまた、容易に判明する。すなわち、原告らの主張する営造物の設置・管理の瑕疵に基づく損害賠償請求権そのものを基礎づける重要な事実が記載されている文書であるから、その作成時期のいかんに拘わらず「挙証者ト文書ノ所持者トノ法律関係ニ付作成」された文書に該当する。
(二) 被告らは、「法律関係文書」は法律関係の発生原因が契約関係に基づく場合か、行政処分がなされるまでの過程において作成された文書に限られるかのような主張をしている。しかしながら、同号後段にいう「法律関係ニ付作成セラレタル」文書とは、その法律関係に関係のある事項を記載した文書であれば足り、法律関係の発生原因、当該文書の作成目的はこれを問わないものと解すべきである(斉藤秀夫編著「注解民事訴訟法」(5)二〇一頁以下)。
けだし、「本条三号後段が設けられた趣旨は、挙証者が立証に必要な文書を所持していないのに、これを所持している相手方が任意に提出することが期待できない場合に、挙証者の不利益を救い、ひいては、訴訟の真実発見を期するとともに、他面においては、所持者の所持するすべての文書について提出を強要することは、その者の利益を害するおそれがあるから、その間のバランスを考えたうえで、提出を強要すべき文書の範囲を限定して、『挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル』文書という法文にしたものと解す」べきであり、したがつて「両者間の契約関係以外のものである場合にも、本条三号を適用する必要がある」からである。
また、行政処分の手続過程で作成された文書に限定する考え方も、被告らの独自の見解というべく、従来の学説・判例には全く見られない。契約関係以外の法律関係について争われた事例が、たまたま行政処分に関連していたことから、行政処分の手続過程において作成された文書が問題とされた判例が多いというだけのことであり、このことをもつて「法律関係文書」を右行政過程に限定づける理由となしうるものではない。
(三) 被告らは、本件報告書が「自己使用の必要上作成された内部資料にすぎない」から民訴法三一二条三号に該当しない旨主張する。
(1) しかしながら、本件報告書は、被告の主張するような専ら被告の「自己使用」のために作成されたものではない。そもそも、本件報告書は、河川法第一六条、同法施行令第一〇条により、その作成が義務づけられているところの、工事実施基本計画の一環として作成されたものであり、同計画と不可分一体の関係にある。すなわち、右規定から明らかなように、法は、単に抽象的に工事実施基本計画を作成すべきことを要求しているのではなく、水害発生の状況、水資源の利用状況、降雨量、地形、地質、開発の状況、その他河川ならびにその流域の状況について詳細な実態を把握し、それら具体的な状況に合致した具体的な計画を策定すべきことを要求しているのである。詳細な実態調査なくして法の要求する計画を作成することは、本来不可能である。結局、法の趣旨は、工事実施基本計画策定のために、河川の実態把握、すなわち実態調査それ自体を義務づけているといわなければならない。
そうだとすれば、本件報告書が、行政内部において作成された禀議書の如く、被告らの単なる便宜のために作成された、いわゆる自己使用の文書にあたらないこと、当然である。また右報告書は、もつぱら法律的価値判断を記載した文書ではなく、事実そのものを記載した資料なのである。
(2) いわゆる「自己使用文書」なる概念は、もともと個人のプライバシーを訴訟から保護するという意図で家計簿や日記帳のようなものに重心がおかれていたのであるから、河川の状況を記載した本件報告書をも「自己使用文書」なる概念に含ましめようとするのは、同概念の使用されてきたゆえんを無視するものである。問題の核心は、一方における証拠資料の獲得という「訴訟の理想」と、他方における文書所持者の利益の不必要な侵害の防止あるいは公益の保護の要請の拮抗をどのように調和するかというところに存在する。
およそ行政庁において作成され保管される文書で、行政庁の自己使用の必要性のない文書は皆無である。行政庁が作成し保管する文書は、法令上の作成義務の有無に関わりなく、常に行政庁内部における事務処理上必要な文書としての性格を帯有しているものなのである。被告らの主張するように、「行政庁内部における必要性」をもつて文書提出義務を免れさせるとするならば、行政庁が作成し保管する文書の殆どは民訴法第三一二条三号後段に該当しないことになり、同条の趣旨を没却することになろう。
(3) これを要するに被告らは、河川を適正に管理し、住民の生命・財産を護るべき立場にあるのであるから、その管理の一環として、河川法等に基づいて作成した本件報告書のように、事案の解明に役立つ重要な資料は、進んで提出し、もつて真実の発見に協力すべきである。ことに「国家賠償請求事件についてはすみやかに真相を調査し、損害賠償義務を負担していることが判明すれば直ちにその義務を履行すべきであり、従つて、法律関係文書もよほど重大な公共の利益を害する場合でなければ、その提出を拒むことは許されない」(自衛隊機墜落事故に関して作成された事故調査報告書につき東京高裁昭和五〇年八月七日決定)。
(四) 被告らは、本件報告書には放水路の建設計画に基づく私有地の買収予定地についての数案が登載されているので、これは行政上の秘密事項に該当する旨主張する。
しかし、放水路の建設地として数個所の候補地が考えられているとしたら、そのような事実は、かえつて秘密にすべき事項ではなく、予定地域の住民に早期に公表し、利害関係を有する住民の理解と合意を得ることが何よりもまず重要なことである。民主的な行政のあり方としては、計画等の策定・遂行に際して、積極的に住民に参加を求めることが今日行政の責務として要求されている。
とくに住民の生活環境の変化を伴う事項については、秘密主義の下に、住民の意思を反映しないまま、行政が一方的に計画等を推し進めようとすれば、かえつて混乱が生ずることはこれまでの経験が示すところであるから、住民の混乱をおそれるよりも、むしろ秘密行政の弊害に思いをいたすべきである。
仮に百歩譲つて、放水路予定地に関する記載が、公益の必要上公表することがはばかられるとしても、当該事項は、本件報告書のごく一部に記載され、しかも本件報告書の重要な部分である平作川等の調査結果が記載されている個所とは、全く別の部分に記載されているのであるから、これを本件報告書から物理的にも容易に切り離すことができるのである。従つて被告らの主張するように、本件報告書中の一部分に不都合な記載があるからという理由で本件報告書全体の提出を拒むことは致底許されない。
B 「本件改修計画」および「本件河道計画案」について
被告国及び県は、その準備書面(一)(昭和五二年六月一七日の第二回口頭弁論において陳述)の第一の二の3「昭和三九年度の実施計画」及び同4「昭和四六年度河道計画調査」において、前記文書の趣旨(一)、(二)記載の事実を述べ、各計画及び計画案を引用し、また、その準備書面(七)(昭和五三年一月二七日の第八回口頭弁論において陳述)の二の1において、昭和三九年度における河川改修計画につき、同2において昭和四六年度における平作川河道計画案につき、それぞれの内容を引用している。
六 文書提出の必要性
平作川は昭和五〇年以降改修工事が進められ、とくに夫婦橋附近は大規模に改修され、本件水害当時に比べ、その様相を一変するに至つた。したがつて、現在では本件で最も重要である平作川等の本件水害当時の状況について検証することも鑑定することも不可能である。
現在では、本件水害以前の平作川等の状況ならびに流下能力等について知りうるのは、本件報告書のほかない。結局本件報告書は、本件水害当時の平作川等の瑕疵を示す唯一の証拠であるから、本件報告書が提出されなければ、本件訴訟において真実を発見することは全く不可能なことになる。
【別紙二 被告国および同県の意見】
一 本件報告書は民訴法三一二条一号に該当しない。
1 民訴法三一二条一号の文書提出義務は、当事者が訴訟において特定の文書の存在を明らかにして自己の主張の根拠とした以上、その当事者は該文書の秘密保持の利益を放棄したものと解されるとともに、該文書を相手方の批判にさらすことが採証上肝要であるとの趣旨に基づくものである。そして更に同条二号、三号の文書が挙証者と所持者との関係において、その秘密保持の必要性が比較的少ないことを考え合わせると、同条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」というためには、文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち、文書所持者が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限ると解すべきである。
しかしながら、被告県は本件報告書の所持者であるけれども、いまだこれを「訴訟ニ於テ引用」したことがない。本件報告書は、被告県の横須賀土木出張所が訴外株式会社建設技術研究所に対し、昭和四六年度河道計画立案の資料とするための調査を依頼して報告させた文書であつて、被告県はこれに基づいて「平作川河道計画案」(本件河道計画案)を作成したものである。被告国および同県は右河道計画案を本件訴訟において引用しているが、本件報告書については何ら引用していない。原告らは、被告国および県が「昭和四六年度河道計画調査」という文言を用い、具体的に主張している事実は本件報告書の内容そのものの一部にほかならないと主張するが、被告県が昭和四六年度河道計画調査について具体的に主張している事実は、すべて「昭和四六年度河道計画案」に基づくものである。
被告県は、本件訴訟において積極的に本件文書の存在に言及したことはなく、ただ、原告からの本件文書提出命令申立後に、裁判長の釈明に対し、その所持を認めたにすぎないのである。
2 仮に民訴法三一二条一号の「訴訟ニ於テ引用シタル文書」を単に主張を明白にするために引用した場合を含むと解しても(被告県は、そのような引用をしたこともないのであるが)、同条の規定が民訴法上、証拠(書証)の章節におかれており、文書所持者の意思に反し、その秘密保持の利益を犯してまでも、相手方の利益にその証拠をして提出しうるとした法意にかんがみれば、同号の「当事者ガ訴訟ニ於テ引用シタル文書」というためには、当事者がある事実を主張し、その主張事実を裏付ける徴表として特定の文書の存在とその趣旨を主張して、これを引用した場合に限ると解すべきである。
3 ましてや、文書提出命令について、原告らが主張するように、弁論の全趣旨というごとき曖昧な理由から安易に文書提出命令を認めることは、民訴法三一二条一号において該文書を提出させるべき要件を限定した法意を余りにも無視することになる。
二 本件報告書は民訴法三一二条三号後段に該当しない。
1 本件報告書は「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成」されたものではない。前記のとおり、本件報告書は平作川の河道計画案立案の適正を期するために行政庁において自己使用の必要上作成した内部資料にすぎない。このように、所持者が単独で自己使用の必要上作成した文書は、挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成された文書に当らないし、特に行政庁の内部資料はこれを外部に公表する必要もないものである(教科書検定処分取消訴訟における東京高裁昭和四三年一一月二九日決照)。
2 元来、民訴法三一二条三号後段の規定は、挙証者と文書所持者との間の法律関係の発生原因が両者間の契約関係である場合を予定して設けられたものであり(斉藤・前掲書二〇二頁参照)両者間の法律関係の発生原因を契約関係以外のものに広く拡張解釈したとしても、少なくとも当該文書記載の事実が両者間の法律関係に関連して作成されたものでなければならない。したがつて、文書作成の目的が両者間の法律関係に無関係に作成されたものは同条三号後段の文書には該当しない。
本件文書の作成は昭和四七年三月三一日であつて、本件事故が発生する以前のことであり、その時点では原、被告間に何らの法律関係も存在していなかつた。原告らが主張するように、自己使用目的で作成された文書も文書提出命令の対象となるとするならば、ほとんどの文書がこれに該当し、「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル」との要件自体が無きに等しいものとなろう。
3 原告らは、「法律関係文書」は、その法律関係に関連のある事項を記載した文書であれば足り、法律関係の発生原因はこれを問わないと主張するが、原告らの右主張に従えば、当該訴訟の目的について何らかの立証の用に役立つ文書であれば、すべて「法律関係ニ付作成セラレタ文書」に該当することとなろう。かくては、民訴法三一二条一号、二号または三号前段のいずれかに該当するときには、同時に当該文書は同条三号後段の「法律関係文書」にも該当することとなり、同条一号、二号及び三号前段の各規定は無用なものとなる。
民事訴訟法は弁論主義を基本構造とし、証拠方法の提出についても随時提出主義をとり、当事者に証拠を提出する自由と提出しない自由とを原則的に承認している。文書提出命令は、この原則の例外として民訴法三一二条各号に列挙された要件のもとで限定的に認められているにすぎない。したがつて、同条三号後段の文書もこれを限定的に解すべきであり、それは私法上の法律関係を明確にする目的をもつて当事者間に作成または使用された文書でなければならない。原告ら主張のごとく解するときは、文書提出義務を証人義務と同様な一般的な義務として認めるのと同様な結果に帰着することとなり、相手方又は第三者の処分権を侵害しその負担を重くすることとなる。
4 行政事件訴訟に民訴法三一二条を類推適用する場合には、行政訴訟と行政過程の特質を考慮して、その要件を緩和して解釈すべきものとする見解があるが、その場合も、提出命令の対象となる文書は、その作成が法令上の義務によるものでなければならないと解されている(教科書検定処分取消訴訟における東京高裁昭和四四年一〇月一五日決定参照)。本件訴訟は一般の民事訴訟であるから、行政訴訟の特質を適用すべきものではないが、かりにこれを考慮するとしても、本件報告書は河川法一六条、同法施行令一〇条によつて、その作成を義務づけられた文書ではない。同法によりその作成が義務づけられているのは当該河川工事の実施についての基本となるべき「工事実施基本計画」そのものである。
河川法一六条二項は、河川工事が河川の適正な利用と流水の正常な機能の維持を図ることを勘案して、水系主義河川管理体制のもとに河川行政の総合的見地に立つて行わなければならないこと、したがつて、工事実施基本計画の作成に当つては、国土総合開発法に基づく国土総合開発基本計画との調整が図られなければならないことを規定しており、これを受けて河川法施行令一〇条はその具体的要綱を定めている。しかし、右の工事実施基本計画策定のための河川の実態調査およびこれについての文書の作成までが同法によつて義務づけられているものではない。本件報告書は河川管理上の考慮事項についての資料たるにすぎない。
被告県は、本件報告書の内容や数値が適切妥当なものであるか否かを各種資料を基にして総合的に検討し、その内容を取捨選択したうえで河道計画案を作成したものであるから、本件報告書と河道計画案との間には実質的な差異が存するのであり、原告ら主張のように両者が不可分一体の関係に立つものではない。
なおまた、行政処分取消請求訴訟にあつては、当該行政処分がなされるまでの手続の過程において作成された文書が、たとえ、その作成が法律上要求されているものでなくても、「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成」されたものと解される場合がある。行政処分は、もともと国民のために公正かつ明朗な手続を経て行われるべきものであり、これら文書の多くは行政処分の適正・公平を担保するために作成されるものだからである(伊方発電所原子炉設置許可取消事件における高松高裁昭和五〇年七月一七日決定)。
しかし本件報告書は行政処分がなされるまでの所定の手続の過程において作成されたものではない。被告県は、原告らの権利義務または法的地位に及ぼすべき行政処分をしたこともないのである。
5 本件報告書の内容は行政上の秘匿事項である。
(一) 本件報告書に記載されている数値は、行政上未調整な、河川行政上の意思決定前のものであり、しかも民間会社の主観によつて作成された数値であつて、これを河川管理者がいたずらに公開した場合、住民に無用な誤解と混乱を招くおそれがあり、行政が円滑に遂行されない弊害を生ずる。このような観点からすれば、行政上の内部資料たる本件報告書は行政上の秘匿事項に該当する。
(二) しかも、本件報告書の中には、新たに将来河川改修に伴う放水路の建設計画に基づく私有地の買収予定地についての数案が登載されている。したがつて、買収予定地が未確定である現在、仮にこれが公表された場合、右買収予定地の候補地の所有者等はもとより、その放水路の周辺の住民および放流先に漁業権を有する漁民等の間に不必要かつ計り知れない動揺と混乱を招くおそれがある。
三 本件文書提出命令は、その必要性がない。
1 被告県は、前述のとおり各種の調査検討を経て策定した平作川河道計画案に基づき、本件平作川の改修工事を実施しているのであるから、右河道計画案こそ平作川についての管理の瑕疵責任の有無を判断する証拠資料となりうるものである。単なる研究のための内部資料たる本件報告書について証拠調べを実施しても、本件訴訟の審理に何ら役立つものでもなく、またその必要性も存しないのである。
2 本件報告書は、平作川の管理瑕疵を問う唯一の証拠ではない。平作川の流下能力等は、これらの資料を基礎として河道計画案に記載されているのである。
のみならず、本件報告書が平作川の瑕疵を示す唯一の証拠であるから民訴法三一二条三号後段に該当するとすることは極めて不当である。同一争点について他に利用可能な証拠方法があるか否かということは、文書提出義務の存否とは無関係であり、それは証拠採否の考慮における要因をなすにすぎない(航空事故調査報告書についての東京地裁昭和五三年四月二八日決定参照)。
文書目録
一 被告県の「神奈川県横須賀土木事務所」が株式会社建設技術研究所に依頼して作成させた「昭和四六年度平作川河道計画調査報告書」(資料編を含む)
二 被告国が昭和三九年度に作成した「平作川河川改修計画」
三 被告国が昭和四六年度に作成した「平作川河道計画案」